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「冒険者ギルドって楽しそうでしたねぇ」
クロムがホワホワとした笑顔で言った。風呂から上がったばかりで髪からは拭き逃した雫がしたたり落ちている。普段よりも少しだけ着崩した首元に十字架のネックレスが揺れた。
部屋からは満天の星空が見える。ポッカリと浮かんだ月は中途半端な形に欠けていた。今日は晴れているから良い景色だが、窓から入ってくる空気は夏とはいえ少し肌寒い。風に吹かれて梢が音を立てて揺れた。クロムが風邪を引かないように、俺はそっと窓を閉める。
「冒険者のランクって、Fから始まるんですね。どれくらいの功績を上げたらランクが上がるのでしょうか?」
何も返事が無いのは毎回のことなので気にならないのか、俺が何も口を開かないままクロムが話を続けた。このお貴族様は冒険者のことが妙に気になるらしい。度々、こうして尋ねてくることがある。勇者になって旅を始めてから冒険者の生態に興味を持ったようだ。クロムには自由というものが無かったから、自由の代名詞のような冒険者に憧れがあるのかもしれない。
「Eランクに上がるのは簡単だよ。ゴブリンとかオークとか、弱めの魔物を倒せるくらいになったらEランクだ」
クロムは俺の説明に目を輝かせて、無言で話の先を促した。説明するのは面倒くさいが、他に話題の種もない。俺は溜息を吐いて、ベッドへ座り込んでビールを煽った。
ビールの独特の苦みと刺激が舌に広がる。風呂から上がって二杯目だが、やはり美味い。この一杯の為に仕事をしていると言っても過言ではない。おっと、話がズレた。
「Dまでは楽にランクが上がるけど、Cは少し大変だね。かなりの依頼の数をこなさないといけないし、実力も一定の強さを求められる。さすがに、ドラゴンを倒せとまでは言われないけど」
「ドラゴンを倒せるようになったら、何ランクですか?」
「Aは確実だろうね」
俺たちは勇者として旅に出てから、ドラゴンは何度も倒したことがある。クロムは嬉しそうな顔をした。自分は冒険者になったらAランクだ、とか喜んでいるのだろう。思えば俺たちも強くなったものだ。
ドラゴンを倒す、といえば身近な女の子の父親を思い出す。自称勇者リサちゃんの父親ウィリアムさんだ。
「竜殺しの二つ名を持っている冒険者のウィリアムさんって知ってる? あの人はSSランクだよ」
クロムは目を瞬かせ、キョトンとした表情になった。知らないようだ。SSランクともなると伝説級で、一般人でも憧れる人が多いくらいなのだが、クロムは中々に世間知らずだ。本ばかり読んで、よく分からないマニアックな知識は沢山持っているというのに、世間一般のことは知らなかったりする。どこかチグハグで、そこに貴族らしさも感じる。
「SSランクって、どれくらいすごいんですか?」
「生きる伝説って感じかな」
「へー……。すごいんですね」
これはよく分かっていない返事だ。SSランクなんて、現在この世界にウィリアムさんを含めて三人しか居ない。とんでもない連中なのだ。ドラゴンなんて片手のパンチ一つで倒せるとかなんとか。さすがにそれは行き過ぎた噂だろうが、そんな噂が立つほどに強いということだろう。もう、この人たちが魔王を倒せば良いんじゃないのかな、という気がしないでもない。というか倒してほしい。俺の平穏のために。
俺もかつて、冒険者をやっていたことがある。勇者になる前の、さらに前。騎士になる前の話だ。
家が貧乏大家族なので、てっとり早く金が欲しかった。それに加えて、そこそこ自分の腕に自信があったし、さらに強い力を求めていた。そんな俺に冒険者という職はピッタリだったのだ。冒険者なんて荒々しい連中ばかりだが、俺も似たようなものだったので自然に馴染んだ。
師匠に習っていた薬学も役に立った。薬草採取の依頼で高度なものも受けることが出来たし、信頼が出来てくると調合も頼まれるようになった。この報酬が高額で「私のおかげで稼げるようになったのだから、私に大いなる感謝を持って崇め奉れ」と脅してくる師匠へと散々貢ぐはめになったが。横暴な師匠を持った弟子は苦労する。
「レストさんは冒険者について詳しいですね」
「世間一般レベルの知識だと思うけどね」
感心したように俺を見るクロムに、俺は誤魔化した。かつて冒険者であったことを俺はクロムとフォッグには告げていない。別に隠す理由も無いが、進んで話したい過去でもない。冒険者だった頃の俺は、あの子が死んで、力と金が欲しくて向こう見ずに必死になって追い求めていた。何度か他の冒険者とパーティを組んだこともあるが、仲違いばかり起こした。
あの頃に比べたら今は大分落ち着いたと思う。これはクロムの影響もあるかもしれない。村の近くで紛争が起こった時、クロムに出会って、世の中にはこんな人も居るのかと驚いたものだ。今まで出会ってきた誰よりも器が大きく、知将たる堂々とした雰囲気があるように感じた。貴族としての立ち振る舞いも、それに拍車をかけていたように思う。
俺も騎士になったら、この人に少しでも近づけるかと思ったのだが……、実際のクロムは少し、いや、かなりポンコツすぎて、憧れを持つなと、かつての俺に教えてやりたいくらいだ。悲しいことに騎士団には俺みたいな連中は多い。戦場でのクロムを見て憧れを持って騎士になったは良いものの、普段のポンコツなクロムを見て憧れが冷めていく。もしくは別の何かに目覚める。ロレッタなんかは、そのクチだ。クロムのギャップがたまらないらしい。
戦場では先陣を切って駆けていき、誰よりも多く敵を斬り伏せる。その姿は敵味方どちらからも恐れられるほどで、まさか普段がポヤポヤした天然だとは想像もつかない。今となっては、戦場でのクロムよりも、普段のクロムのほうが親しみを感じて好ましく思うけれども。
少しも気取ったところがなく、誰に対しても平等で博愛に満ちている。しかし、高貴な雰囲気を常に漂わせていて気品があり、俗世離れしている不思議な佇まいでありながらも魅力を感じる人、それがクロムだ。この感想はクロム本人には言うつもりは無い。本人の自己評価が低すぎて心配になることがあるので、たまには直接褒めたりもするけれど、ここまでベタ褒めするのは恥ずかしい。
「クロムは冒険者になりたいと思う?」
「そうですね、少し憧れます。自由で良いですよね。何者にも縛られず、色々な所へ旅を出来るのも良いです」
そう言ったクロムは、少し寂しげに見えた。公爵家の長男であるクロムは、いつの日か家を継ぐのだろうか。貴族や騎士は王と国へ忠誠を誓うものだ。そこに私情は関係ない。勇者になって、お偉いさん方の目が届かなくなってからは、かなり自由にやってはいるが、やはり不自由もある。その点、冒険者は気楽だ。気に入らなければ、やらなければいい。好き勝手に冒険する。
クロムとフォッグと一緒なら、また冒険者に戻るのも悪くはない。俺は先の見えない未来と叶わないであろう夢に思いを馳せた。この三人なら、どんな旅でもきっと楽しいだろう。なんなら、伝説のSSランクを目指しても良い。今だってドラゴンも倒せるのだから、竜殺しのウィリアムさんに並んだっておかしくはないではないか。
外から、雨の音が聞こえはじめた。先ほどまで満天の星空だったというのに、いつの間に雲が出てきたのだろう。クロムが隣で、あーだこーだと冒険者への憧れを語っているのを耳から耳へと聞き流して、ボンヤリとしながら窓へと視線を向けた。どこか不安定でチグハグな俺たちの三人旅は、いつまで続けられるのだろう。
「おい、クロム。なにを一人で喋ってんだ?」
フォッグの声が聞こえて、思考の海から意識を戻す。風呂から上がってきて、クロムを呆れた顔で見やっていた。俺と違ってフォッグならマトモに話を聞いてやって律儀に返事をするから、話し相手には良いだろう。クロムは楽しげに、フォッグ相手に話し始めた。穏やかで優しげな声は、子守唄のようで眠りを誘う。
先のことを考えたって仕方がない。俺は思考を放棄して、ベッドに倒れ込んだ。何か大事なことを考えていたような気もするけれど、あっという間に忘れてしまった。